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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 龍馬伝 第2部 第28回 『武市の夢』

どこからどこまで史実か分からぬままの視聴ですが、
さすがに大殿様のお出ましや武市と龍馬の再会がフィクションであろうと言う事は分かるのであります。
しかし例え資料に残っている言葉であっても、福山雅治さんの口から出た瞬間にフィクションになってしまうのだから、
その辺りのドラマは、知らないのを良いことに楽しんでしまおうと思います。


しかし本当に大殿様と武市半平太がリンクしていたとは。(いやドラマで・・・ですよ)
武市が自由変化な龍馬を羨ましいと思いつつも、「大殿様」「土佐藩」のためという括りから逃れられなかったように、
深山宗林が指摘した通り山内容堂もまた、幕府政治の行き詰まりを悟りつつ、
「徳川家」「勤王」から逃れることが出来ずに苦しんでいたようです。
人が自分を縛る物は、他者ではなく自分自身なんだと再確認。
いっそ武市の御輿に乗ってしまえば楽だったのに。
「日本人」という新しい価値観は、私たちが宇宙の外の話を聞いているようなもので、
当時の彼らにはあまりに大きすぎて形が定まらず、飛び込んでいくには恐怖が伴ったのかもしれません。


何故、いささか強引とも思える龍馬の帰郷や山内容堂公と武市の面会をドラマで実現させたか。
おそらく「これは違う」という声が多数出ることも承知であったと思われますが、
つらつらと思うに、約150年経った今、武市と山内容堂公を「和解」させたかったのかなと。
武市だけじゃなく、岡田以蔵や先に切腹した平井収二郎、亀弥太など、
出発点はみな「人のため、国のため」で懸命に生きた彼らを一人一人拾い上げ、
フィクションの中でわずかでも「無駄ではなかった」という救いを与えたかったのかなと。
せめて頷いて逝けるように。
実際に生きた彼らの人生を脚色するなどおこがましいかもしれませんが。


龍馬は、既存の価値観から悩みつつ脱却、
それまでの龍馬以外の「坂本龍馬」に変わりつつあるようです。
次は自身の価値観から抜け出せた者だけが進めるステージなのかもしれません。