oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

お節介も極めれば、人の生き方と化す

実家の母は父の病気を機に家業の鮮魚店を人に譲ってからは、
仕出し屋の手伝い、喫茶店の手伝い、家政婦、郵便局の掃除など、
いろんなところへ日替わりで働きに行っている。
こんなご時世、60過ぎのバア様に「働かないか」と声を掛けてくださるなんて有り難いことだ。
母は店をやってる時分からそうだが、情けが深すぎるというのかちょっとお節介なところがあり、
魚の配達に行くと留守宅の雨に濡れた洗濯物を縁側へ入れてあげたり、
知らないお婆さんが座り込んでいるとタクシーを呼んであげたり、
商売でもお客さんの好みを全て把握し「いつものように」とさえ注文すれば
「あそこのおじいさんはタコが食べられないから。」とか
「あそこはハマチは嫌いだからタイとヒラメに。」などと気を利かせ大概の無理は聞いていた。
このお節介すぎる母を私たち子供はやりすぎだと感じて
「人には人の事情があるんだから、あまりお節介が過ぎると迷惑だよ。」とよく窘めていた。


難病で体の自由があまり利かない方の家にも、週に数日身の回りのお世話に行っているが、
先日母が二泊三日で旅行に行った間その方の体調が悪くなって、家へ主治医が来たりの騒ぎになり、
その時「だれか会いたい人がいるの?」という主治医と家族の言葉に母の名前を出したそうだ。
結局体調は戻ったが、そんな事になってるとも知らず母がのんきに土産を持ってその家を訪ねると、
その方は「こんなに合いたかったのにアンタはそんなに呑気で」とワンワン泣かれたそうである。
人生最大のピンチに、家族でもなんでもない他人の母の名を出してもらえるなんて事があるんだとオドロキ、
母が仕事以上の繋がりを人と持っていることを知った。
母はこれで良いのかもしれないと今頃になって思うこの頃だ。