oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

[ドラマ]不機嫌なジーン 第10回

今、微妙にビミョーに胸が揺れ揺れしてるんですが・・・・・。
いや、揺れ揺れするほど胸が大きいって話しじゃありません。
ちょっと私の思い当たる節を突っつかれたというか、かすめたというか。
ドーンと体当たりされたほどの揺れじゃなく、菜箸でちょこちょこつつかれる痛がゆい感じです。


その思い当たる節というのは
神宮寺教授と南原教授の会話で
「特性を活かして助け合っていけばいい」(こんなニュアンスでしたか?)
一度しか見てないので正確には違うかもしれませんが、
これはですねー、私が日頃何かある度にチラリチラリと考える事柄でして、
私の「今の考え」にちょっと近い感じがします。
もう一歩踏み込めば
『「男女」ではなく「人間」はまったく同じである必要はない』ということでしょうか。
なぜ「今」なのかというと考えるたびに意見が変わってたりするので。
『男女平等』については特に女性の方はいろいろ思うことがあるんじゃないかと思いますが、
私がその高尚な問題をどういうときに考えるかというと、
例えば
「仕事で遅くなって帰ってきたら旦那は風呂、私は夕飯の支度」とか、
『なんだか損してる!』と感じるときなんですねー。
まあ大体身勝手でちっとも高尚じゃないときです。
でも全く同じでないといけないとは思わないんですよ。
背の高い人が高いところの物を背に低い人に取ってあげるように、
覚えのいい人がすぐ忘れる人のサポートをするように(私にとって結構重要)、
それぞれ得意なことを少し人のためにすればいいんじゃないかと。
でもそれは「男女の性」ということとはまた違う、「個人の特性、個性」ですかね。
身近で言えば力持ちのキバコさん(♀)は力のないショージさん(♂)の代わりに
よく重い荷物を運んでいるし、
よく気のつく旦那はトイレットペーパーや石鹸などを在庫を切らさず補給してくれる。
これでいいじゃん。
もちろん根本的な男女の性の「違い」はあるのが当たり前だけど、
同じく女性同士でも男性同士でも特性によって「違い」があって当然じゃないかなと。
うーんちょっと話がズレてきましたか・・・。
ズレついでに脱線して。
子供の教育現場においても何かと「順番」をつけるのはよくないという風潮がありますが、
かけっこの得意な子に1等をあげて何故いかんのかなー。
音読の上手い子、ピアノの上手い子、詩が上手い子、積極的に出来る子、真面目な子、
みんな違うんだから人より秀でたところをドンドン誉めればいいのにと普段思ってるんですよ。
『平等=なにもかも一緒、同じ条件でなくてはいけない』ではないと思ってます。
これも年を取るたび、環境が変わるたびに私の意見も変わっていきそうで今後楽しみです。


あと「有明海干拓工事」の話。
よくリアルタイム進行中の事柄にここまで触れることができたなと。
工事推進反対派、賛成派それぞれの立場でそれぞれの言い分がある。
ちょっとハッとしました。
おそらくこれからニュースでこの話が出るたびに
今までよりも関心を持って見ることになりそうです。


最後はやっぱりオダギリ氏ですか。
私の節穴気味な目で見れば(特にオダギリ氏に対して)、
あーやっぱ演じることに関しては真っ直ぐな真面目な人だと
ありきたりに言えば「感動」しとります。
こんなドラマの見方は本人にとって不本意なんだろうなと思いつつも
ついオダギリ氏にゆっさゆっさと揺さぶられてしまいます。
「ここ」らへんが変わらなければいろいろあっても(何が?)
オダギリ氏に対しては信じていけるなあと
揺さぶられて朦朧としている頭でぼんやりと考えているのであります。
言いたいことがいろいろありすぎてちっとも輪郭がはっきりしない感想でした。
イラストは後日です。
(一晩たって加筆しました。やっぱ言いたいことを的を得て書くのは難しい・・・・・・)