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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第30回 『再起への道』

襄先生、本格出番への助走、反応を読みたくて放送後ツイログを追ってみると、
新島襄出たっ!」だけで瞬間100ツイ以上、
「ジョーが襄かよ!」という今更なツッコミ、
「離婚しないで!」という嘆き、
だいたいこの3パターンに分かれているようでございました。
視聴者のみなさまの感想もまだ助走というところでございましょうか。
谷あり崖ありを歩んできたワタクシたち特定クラスタは、
今後の反応の推移において大体の予想がついてはおり、そんなに心配はしておりませんが、
反射的拒否反応はやはりサミシイものでございます。
襄先生の大きな愛の日差しが隅隅に降り注ぎますように。アーメン。


という長い戯れ言は置いといて
これまでのチョイ見せ襄先生を見るに付け
「あれ?今までのオダギリ氏とどこか違うな」と感じるのは、
アメリカだー!と両手を大きく振ったり、眉を歪めて祈る姿など、
いつもより感情豊かな表現だからかな?と思っておりました。
いや、表現じゃなく最初から在り方が新島襄そのものなんですね。
オダギリ氏と違うのは当たり前でした。ええ。
新島襄の祈りは明治期のメインテーマのようです。
つかどうにかならんか、数分の出番でこの長さ…。


本編は前回よりむしろキツイ回でありました。
故郷を追われ、誇りを奪われてちりぢりになる会津藩士の家族たち。
不慣れな土地で逆賊と呼ばれ、生きるのも覚悟のいることでございます。
憎しみと報復を糧にして生き延びる未亡人。
しかしその望みを子に託すということは、子どもの未来を奪ってしまうと言う事であります。
身動きのとれない親子に覚える違和感。
恨みを抱いたまま感情にまかせて力を奮えば、
自分をコントロールできなくなってしまうという恐怖感(ん?)(八重の感想ですよ)、
八重の中に今までとは違う感情が生まれ、新しい道を選ばせる下地が丁寧に描かれます。


また大蔵様の八重にしか見せない寂しげなフニャ笑い。
(この微笑みを見る度に、あまちゃんのピエール滝を思い出します)
その笑みに籠もる意味を受け取るアンテナが全く立たない八重。
いつも圏外!またはお客様の電源が入っておりません!つか入れる気ありません!
これはもう無理。
どれだけ一緒に居ても一生片思いでつよ、大蔵しゃん(´;ω;`)


新島襄の口から出る「bright future」。
オダギリ氏の役は、いつも新しい世を示唆する役割があるようです。