大河ドラマ 龍馬伝 第2部 第25回 『寺田屋の母』
まず再認識しなくてはならない事は、この時龍馬は20代であったと言うことである。
(たとい、あご下がたっぷりとして見えたとしても・・・である)
優しい母は物心ついたときから床に伏していて、幼い頃に他界してしまった。
海軍訓練所が閉鎖となって、気力も帰る場所も失った時に、
亡き母に本人と見まごうほどそっくりな女性を遠い京で見かければ、
慕い甘える心が湧いて出ても仕方ない事である。
よし!脳内補充OK!
しかしいくら母上にソックリだとはいえ、出会ったばかりの人に
「母上と呼んだら、龍馬と答えて下さい。」と、唐突なお願い出来るのであったら、
私だって「ジョーと呼んだら、小次郎と答えて下さい。」とお願いしたいです。
・・・・・(想像中)・・・・・
そりゃもう、龍馬の様に鼻の下が伸びようというものです。
今のところ「お龍どの」より「寺田屋の母」にゾッコンのようですが、
「息子」はいつの時代も「母」にトコトン弱いものなんですねえ。
京で甘いひとときを過ごしている龍馬と対比するように、
肉体的にも精神的にも過酷な状況に置かれている土佐組。
考えたら自分本位のハズの弥太郎が、一番他人の人生に巻き込まれ深く関わっているような気がします。
「関わりないこと」と距離を置いて、違う道を歩いてきた自分が、
武市の、以蔵の、土佐勤王党の生き死の場に関わざる終えないとは!
いつも「その時」に居ないのに、幸運に恵まれ、人に慕われ引き寄せる太陽のような龍馬に
八つ当たりと知りつつ、恨めしくも責めたくなる気持ちが分かります。
うん、やっぱり弥太郎には武市や龍馬を責める権利がありそうです。
そして本日は納品間近のチラシが山積みの中、折り機が壊れて
「ワシは一体どうしたらええがじゃー!」とやけくそになっている専務改め社長に
「いつまでも叫んどらんで次の手を考えんかい!」とケリを一発入れてきたいと思います。