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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 龍馬伝 第2部 第20回 『収二郎、無念』

『人は芥子粒ほどのもの』
と言う横井小楠山崎一)の言葉の意味を、瞬間飲み込めず呆気にとられる龍馬。
どうにも腑に落ちず、反芻して反芻して、ようやく自分の答えを「否」としたのは、
収二郎の切腹を知った時でした。
「私欲ではなく、藩のため、日本のために力を尽くした彼らを罰するのは納得できない。」と龍馬は言うけれど、
自分の意に沿わない者を次々と排除する武市のやり方もまた、
『人は芥子粒ほどのもの』そのもののようであります。
武市が今味わっている大切な人を失う苦しみや悲しみも、
彼が排除した人たちの家族や友人も味わった事でしょう。
勝海舟や龍馬が多面的に物事を見ることが出来るタイプとすれば、
自分の正面からしか物事を見ることが出来ないことが、
武市(と、周りの人たちの)の不幸だったと言えるでしょう。


しかしこのドラマは「男くさい」。
汗で張り付く髪の毛、泥まみれの顔、地面を踏みしめた足、
モワモワと運動部のロッカー室のニオイが漂って来る、文字通りの「男臭ささ」。
(一人汚物臭い人もいらっしゃいますが)
がしかし、臭くはあるが素晴らしい!(アンタは千石さんか<王様のレストラン>)


「物には金を出すが、人には出さない」
150年経って、日本は今も変わらず。
人は「形」にならないと価値を実感できないものらしいです。
しかし本当に残るのは、愛情だの知識だの形の無いものの様な気がします。
無駄金のようでも、私が化粧品だの美容院だのに金を払う事は、
きっと10年後に「生き金」となって戻ってくるのよ、旦那!(旦那には何の得も無し)