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「小次郎つばめ返し」

Nステ「チャンスの前髪2」

ドラマ『ぼくらはみんな生きている』のVTR
バイク事故で全ての記憶を失った青年の実話をドラマ化。私が唯一取り逃がしたドラマです。(願!DVD化!!)
ロケ現場で監督から演技の注文を受けるオダギリ氏。
しかし納得できない様子でモニタを見ながら積極的に自分の意見を提案をしている様子。
(ナレーション)『役作りでは自分の意見は必ず持つ。それが俳優という表現者であると。』
「それが仕事ですからねえ。別に難しいことも・・・。他の仕事をされている方と同じ事だと思うし。」
オダギリ氏は人気商売でもある俳優という職業に特別感を持たず、というか持たないように強く意識しているように見えます。
よくオダギリ氏は「普通の兄ちゃんですよ。」と自分のことを言ってますが、
『自分は芸能人で人気者だ』と意識することは演技する上で大変邪魔なものなんでしょう。


表現者としての原点>再びライブハウスにて
「気付いたら映画館だったという・・・そういう育ち方だったんですよ。僕が小さいときに父親と母親が離婚して、
 僕は母親と育っていったんですけど、母親は僕を映画館に置いて何か(仕事や用事)をしてたんですよ。
 映画が僕の生活の一部になってたんですね。」
ファンの間ではすっかり知れ渡っている「オダギリジョーの作り方」ですね。
何かを思い出すように暗い空(くう)を見つめながらポツリポツリと話すオダギリ氏。
「反抗期ってありました?」と渡辺アナ。
「ああ〜〜ありましたねえ。」
少しまだ緊張しているのかタバコが手放せないオダギリ氏。
「あったんですか!?今ねすごく大事になさってる感じだから。」
ふっふっふ。渡辺アナ、割と鋭いです。
「それがね〜またヘンな話で・・・・・・・。うちの母親はそれが反抗期だと多分思ってないんですよ。」
母親の話になるとちょっと眉が上がっておどけた表情になり、照れくささを隠そうとするオダギリ氏。(隠れてません)
「いやあの〜〜そういう風に可愛がられて育てられるじゃないですか。それっがムカツクんですよ!」
なんでー?とアナに聞かれヒクッと照れ笑い。


再び『ぼくらはみんな生きている』のVTR。
撮影中の合間にも時々鋭い目をして集中するオダギリ氏の姿。
(ナレーション)『映画製作をしてみたい、監督になりたい・・・高校卒業後彼が目指したのはアメリカ留学。
         しかし留学中舞台を経験したことで演じることの魅力にはまって俳優としての道を選択する。』
ふむふむ・・・この際「願書を間違えた」ことは置いとくワケですね。
(ナレーション)『芝居はリアリズムの追求であると考えていた彼が帰国後受けたオーディションは
         「仮面ライダークウガ」のヒーロー役であった。』


表現者としてのこだわり>ライブハウスにて
「ええ、最初はそうですね。ええ。」
「じゃあこれはやってみようというのは迷い無くやったんですか?」
やはり特撮のヒーローいうのはこういう質問が必ず出るくらい特殊なイメージだったんでしょう。
「いやいやいや、それはもう迷いまくりましたね。」
何度となく聞いて、もう慣れましたモーン。
「一年前に僕は戦隊モノのオーディションを受けさせられたんですよ。なんか「変身だ」みたいなのが書いてあるんですよ。
 ポーズをとってくれとか言ってるし。『そんなもの出来ません』って言ったんですよ。」
何度も聞いた話ですから・・・・・・・・・・。
「オーディションを追い出されたんですよ。」
・・・・・いや、何度聞いても心臓に悪いっす・・・・・。
「で、それがあった次の年にオーディションに呼ばれたんですよ。でもね、クウガのプロデューサーがちょっと変わった人で、
 変身とかあまりなかったんですよ。ウソばかりのヒーロー物の世界で(ドッキドッキ)、
 どれだけリアリズムを追求できるかということを僕は一年間やったつもりですね。」
オダギリ氏の言葉はいつも逃げ隠れがなく、彼の演技同様「受け取る側の自由」だということでしょう。
しかしこんなところで「次へつづく」心苦しさ。
どうか出来れば好意的に受け取ってくだされ・・・と願う1ファンの老婆心でございます。
まだつづく!