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「小次郎つばめ返し」

寿命はなぜ「寿」と書くんだろう

弔問に来られた方々はみな口々に
「頭が良くてやり手で綺麗な人だった」と言うのであります。
私が初めて会ったときの義母は
右半身を引きながら杖をついていて、すでに70才前のおばあちゃん。
私の知っている義母との違いに戸惑うのでありました。

義母が脳梗塞で倒れたのが52才。
全盲の義父、まだ学生の1人息子を抱え、バリバリ働いていた頃で、
どんなに心細かっただろうと想像してみる、
村で初めて車の免許を取り、詩吟や書道、舞踊を嗜んだという義母が
その楽しみのほとんどを失った暗闇を想像してみる、
幼い頃に両親を亡くした一人っ子の義母が歩んできた人生を想像してみる、
でも思い出す義母の顔に陰りや苦労のあとは全く無いのであります。

義母が右半身の自由を失って40年。
しかし義母を知る人たちの中では今なお、強烈に焼き付けられているようです。
年を取る毎に褪せるどころか色鮮やかになる人生もあるんだと
亡くなってからも義母に驚かされるのでありました。