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「小次郎つばめ返し」

重版出来! 第5話

人生の岐路には聖なる予言者が辻辻に立って、
「本当にそれでいいのか?」と問いかけるらしい。

http://www.tbs.co.jp/juhan-shuttai/story/ep5.html

でも予言者は常に自分の回りに在るような気がします。
久慈社長の場合は老人と宮沢賢治の書物。
普段は素通りしていく予言者の存在や言葉も、
岐路に立って迷い、自分の心が開き始めた時に初めて気づき届く。
本当はどうしたいのか。
どうなりたいのか。
問いかける予言者の言葉は、
ひょっとして自分自身の奥底にある、本当の気持ちかも知れません。

久慈社長はかつての自分がそうであったように、
誰かの人生の辻に立つ予言者のような作品を送り出したいと思っているのでしょう。
社長が人のために役立ちたいと願う全くの利他的な善人なれば、
3,000万円の当たりくじを引き替えて、全額寄付すればいいことなのに、
受け取ってしまえば自分の運が減ってしまうからそうはしない。
あくまで自分がしたい事を優先するという、
私欲のあるスタンスが実に心地よいのであります。

帯をかけたままの本がベルトコンベヤーを登っていく時TLに溢れた悲鳴。
私も思わずギャ!と声を上げてしまいました。
本に対して、お米と同じように粗末にしてはいけないという気持ちが
殊更強く湧くのは日本人のDNAか。
作品が形になって生まれる瞬間と、破棄され死んでいく瞬間を同時に見せる。
綺麗で明るく清潔なドラマが、眩しすぎて人を遠ざけることはありますが、
「重版出来」という元気で明るいドラマが多くの視聴者や現場の人を惹き付けるのは、
暗部をも照らし浮かび上がらせるからなのでしょう。

「考えて考えて考えて、予算の中で出来る最大限の仕事をしろ」
へへー<(_ _)>
似たような仕事を受けることもある手前、
個人的に興味深かったのは装丁のシーン。
「思春期、自意識の強さ、青春…」と紡いでいく言葉。
私も連相ゲームのように浮かんだ言葉を紙に書き出すところから始めます。
また置かれる環境を想像しつつ、その場に自分が立ってみる。
誰もが同じようなことをしているんだなあと思った次第です。


〜〜〜余談〜〜〜
以前「自分たちの仕事は必ずしも社会に要るものじゃないじゃないですか」
と仰った方がおりました。
マンガに限らず、本、映画、ドラマ、音楽、絵…
確かに娯楽は無くても生きていけるかもしれません。
しかし誰かの人生の岐路に立つ予言者の言葉になるかもしれない。
やはり人には娯楽が必要で、それは誰にでも出来る事じゃないのですよ、
と熱弁したいのであります。(誰に言っているの)
イラストは後日です…といっても、もう明日6話の放送日か!

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