oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 最終回

一年前、武具に身を包み、槍刀で始まった八重の桜の最終回は、
西洋の軍服で大陸を走り、船から砲弾が発射される近代戦でありました。
たった30年でいくつも時代をワープしてきたような日本の様変わりに驚愕、
何百年と封印された扉が軋みつつ開けられた瞬間に流れ込んできた風力の凄まじさを感じるようです。
価値観まで吹き飛ばす勢い。
このころの「若いもん」に対する断絶感は、今私たちが感じている以上に広く深いものだったでしょう。
自らを新島襄教の信徒といい、最期を看取り、
その後も八重の生活を支え続けた愛弟子徳冨蘇峰が、
ペンでもって戦争へと気運を導いていくのがなんとも皮肉で、
彼の中で一体どういう風が吹いたのだろうかと思うのであります。
しかし関係は疎遠にならず、思想的には真逆とも思われる新島夫婦と蘇峰が、
今一緒の場所に眠っているという不思議。
計算や理論で割り切れない、まあそれが人間なのよね、で済ませてしまう辺り、
ワタクシの人間の浅さが出るのでございます。


八重の桜では、よく「会津」と「京都」に分けて語られますが、
積み重ねた空気の層で感じ取れた会津編と比べて、
京都編では言葉で説明されることが多かったような気がします。
「戦の傷も犯した罪も悲しみも、みんな一緒に背負ってくれた、愛で満たしてくれた」
えっ!八重さん、そんなこと思ってくれてたんだ!みたいな…(なんというワタクシの鈍さ)
「ご宸翰が再び戦の火種となるのを避けるため」
「戦をせず国を滅ぼさない別の道もあったはず」
「信義で結ばれた主従は私には手に入らないものだった」
彼らの辿ってきた道や思いをここぞのセリフだけで汲み取るのは中々難しいのでございます。
いや、思い返せば早くから示唆はされていたはずなんですが。


〜ここからは1ファンのわがままでつ〜
山本むつみさんの「襄さんは天使でもあるが武士でもある」という言葉を拾いまして、
天使は初期設定だったのかということより、武士も意識されたのかということに
軽く驚きを感じるのであります。
ワタクシ、役者ファンのためオダギリ氏の事となると
宇宙の音を拾うほどの高性能マイクと270度まで捕らえる広角レンズで、
有るもの無いもの(!)全てを拾ってしまうんですが、
「武士」成分は、なかなか映像中から抽出出来なかったのでございます。
(脳内では補ってましたが)
もし、八重の桜の新島襄が本来その設定であったのならば、
武士という強烈な縛りから抜け出しながら、
命がけで信念を貫こうとする「だれかが一粒の種を蒔かねばならない」は、
まさしく新島襄の芯を貫く武士気質であったろうと思います。
それを言葉だけでなく、私の妄想でもなく、
映像の中で細やかに見ていきかったなと思うのであります。
(その辺りはこちらにも置いておりまつ)※以前書いたものです
http://usagitokeme.hatenablog.com/entry/2013/12/06/085640
〜わがまま終わり〜


重ねて申し上げますと、ワタクシ、広角レンズは持ち合わせておりますが、
被写界深度は浅く、ピントの合う範囲は極めて狭い。
新島襄がそう描かれることが、ドラマ全体にとって良いかどうかが冷静に判断しかねるところでございます。
現にTL上では多くの感謝と感動の言葉、学生たちの懺悔に溢れておりました。
とりわけ、会津出身の方々が京都編が楽しかったというツイを拾って、
そうか、そうなのか、彼らの思いが届いているのなら、誰の描き方がどうとか、
そんな見方は「木を見て森を見ず」なのかもしれない、と思い直すのでありました。
木々が一本ずつ豊かに育ち、大きな森になるのが一番ですが。


個人的には2004年の新選組!には実家の父、
今回の八重の桜ではじいさま(旦那の父親)が亡くなるという
奇しくも2回のオダギリ氏出演の大河放送時に我が家の一大事が重なりました。
ともすれば萎れかけるワタクシタチの頭上の暗雲を払い、
太陽の温かさを届けてくれた八重さんと襄先生、多くの登場人物に気づけられ、
楽しませてもらった一年でございました。