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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 龍馬伝 第4部 第48回 最終回 『龍の魂』

現在ではアタリマエのことがアタリマエじゃなかった時代に
夢物語がまさかの現実となってしまったのだから、
その混乱振りは相当なものであったと想像されます。
あまりに長い間状況が変わらずにいると、人は知らず知らずそれを永遠の事象だと思うものらしいです。
例えばベルリンの壁が突然壊された時、ソ連が瓦解した時、昭和天皇崩御された時、
私が二十代終了のお知らせを聞いた時の
「あ、いつか終わるものなんだ、こんなにあっけなく・・・・・。」
と、唖然愕然とした感じに似ているかもしれません。
思いつくことさえ困難だった事を、一番困難な立場にいる者たちが軽々と(と見えたでしょう)成し遂げてしまいました。


そして既成概念に囚われやすいワタクシは四十数話を見ているうちにスッカリ江戸時代の庶民。
龍馬の描く次世代人事録を見て「これは感情的に無理だろう」と感じ、
にこやかな龍馬の顔を見て「この男は何故こんなに構えてないんだろう?縛られる物が何も無いんだろうか?」と呆然。
おそらくこの時ワタクシは中岡慎太郎に直リンしていたと思われます。(無断リンクですが)


大きな変化に戸惑い嘆き、現実の受け入れが難しい側のアイコンと化した新選組
彼らや幕臣側には彼らの理想や希望があるハズなのに、
立ち位置の反対側のドラマだから仕方がないとはいえ、
全般丁寧に描かれたドラマの中でなぜあんなに単純な描かれ方になったのか?
そこは非常に残念な感じがいたします。


大門が開かれた150年前と確かに繋がっている今。
私たちの門は本当に今も開いているのか?
ひょっとして閉まってる事に気付いてないんじゃないか?と思わないでもないけれど、
私たちは○○○に名前を書くことが出来るのであります。
希望や未来は高く遠いところにあるモノじゃなく、私たちの手の中にあるんですねえ。


誰かが「龍馬伝少年マンガ的大河」とツイッターで称されておりましたが、
まさに冒険あり、アクションあり、友情あり、ライバルあり、熱い思いあり、ロマンスあり+普遍的な家族愛の
ドキドキハラハラホロリ青春群像でありました。
福山雅治さんや坂本龍馬に固定した特別なイメージが無いまま見始めたのが、また良かったようです。
多方面に差し障りのないドラマよりは、多少の間違いはあっても制作が作品に強い愛情と信念を持ち突き進んだ、
こんな身体中が熱くなる大河をまた見たいと強く願っております。
1年間楽しませていただきました!
完走された龍馬伝ファンの皆さんもお疲れ様でした!