oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

あの家で永遠に語り継がれるんじゃないかと気が気ではない

先日から、折に触れ思い出すことがある。
そのことが何か私の中で引っかかっているからだろう。
隣のキバコさんに聞いてみようか・・・いや、なんだか高い確率で「悪い方」の予感がする。
頭の中で確認するように先日の出来事を思い出してみた。
帰宅が遅くなりそうな旦那をおいて、一人で亡くなった親戚の家にお悔やみの挨拶をしに行った時のことである。
仏間には亡くなったおじちゃんの奥さんと子どもさんたちなど、ごく身近なご家族が4人いらっしゃったが、
旦那方の親戚であるため、村内在住の奥さん以外は私とはほぼ初対面である。
深々と頭を下げて丁寧に挨拶をし、畳の縁を歩かないよう細心の注意を払い焼香台に近づき、
今一度、おばちゃん(奥さん)と長男さんにぬかりなく一礼。
ゆっくりとお線香に火を付けて手で消し、数珠を手にかけた。
チーンと鳴らす御鈴を台の上に探したが見あたらず。
しかし大人は決して慌てない。
周りを見渡すと私の座る真横に、火鉢のような大きな御鈴が鎮座している。
宗派が違うと小道具も変わるものである。
こん棒のような大きな棒で叩くと、チーンではなくゴーンと低く響いたのである。
同じ村内と言うこともあって、おじちゃんにはいろいろと気にかけて貰ったなと思うと、
手を合わせつつ自然と涙腺が緩んできた。
もう一度おばちゃんとご長男の方に向き直ると、ご長男は膝を握りしめ真下を向いて悲しみを堪えていらっしゃった。
90歳のおじちゃんは大往生であったが、幾つになってもやはり親の死は悲しいものなのだろう。


と途中からキバコさんに話して聞かすと、
「アンタ、それは和尚さんが葬式の時に叩いて鳴らすもんだよ!それを真面目な顔で叩いたのかい!」
さらに「長男さんは笑いを堪えるのが必死だったんだよ!」とだめ押しするのである。
息苦しそうに声もなく笑う主任を見て、
私の中の記憶装置から、この出来事を消去してしまおうと思ったのであった。