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「小次郎つばめ返し」

渇き。 1回目視聴後

ネタバレ必至です。未見の方はご注意を








どんな映画?面白かった?と聞かれて、こんなに困った作品は初めてです。
物語には起承転結や示す先があり、「渇き。」もまたあらすじはあるんですけど、
見終わって思い出すのは、ストーリーではなく厚塗りの一枚の油絵。
登場人物の肉体すらあやふや、欲望、声、本能、血、汗、愛、笑いという感情が
激しくキャンパスにぶつけられた凄まじい絵は、
未だに私の中で喧しく声を挙げ続けています。
どの声が一番浮かび上がって私の耳に届くのか、見た後、寝る前と今日、その時々で違う。
大傑作だという人と、最悪だという人、よく分からないという人、
原作者、監督、役者さんには、それぞれが思い描いた答えや形があるんでしょうけど、
受け取る方がどの声を拾うかかで感想が違うのも当たり前だろうと思います。(という防御)


飲んでも食べても悶えるほどに、抑えられない底なしの飢渇感。
一度満たされれば、少しでも減ると不安になり、さらに求めてしまう。
人間の欲望とは底の知れないものであります。
とすれば、瞬間の満たされ感もない加奈子(小松菜奈)より
加奈子を追い、時々アイシテルと言ってくれれば良かった「ボク」(清水尋也)や「松永」(高杉真宙)、
加奈子を捜すという一点だけを疑問を持たずに追い続ける藤島昭和(役所広司)は
幸せなのかもしれません。
ミサでの愛川は近寄れないほどに美しく、この世の物とは思えないほど透明でした。
別次元で加奈子と同じかもしれません。
透明で美しい世界を汚すものは排除されるべきという彼なりの正義に
何の疑問も持っていないようです。
唯一息子には引き金を引けなかった愛川。
それは親子の情なのか、美しいものを壊すことへの迷いなのか、
彼の表情をもう一度確かめたいです。


映画を見る前に見掛けた多くのツイは
「わからないけど妻夫木くんとオダギリジョーがカッケー」の他に、
オダギリジョーが突然現れた」というものでありました。
そのため最初にちょっと存在が示され、終盤に出番があるんだろうと思っておりました。
ところが本編では冒頭ミサのシーン他に、足元のコンバース、声、
咲山(青木崇高)たちの会話の中や家族写真と、最初から最後まで全体に存在が示されていて、
藤島の行動に添うように存在し続けて居る。
ひょっとして、あの端麗すぎるミサのシーンや爽やかな家族写真の愛川に
多くの人は気付いて無いんじゃないかと思ったのでございます。
オダギリ氏は年に一度くらい、何も纏わない姿(言葉の比喩でございます)を
一般の方々に見せておいた方がよいかもしれません(余計なお世話)


気付くといろんなシーンを急に思い出してウツラウツラ考えております。
しかし揺さぶられて頭がショートし目から火花が出るこの映画を見終わって
一番に感じたのは作品を覆う「喜び」。
頭から水を被って、地面を転びまわり、ただただ全身で吸い尽くそうとする役者陣。
そんなに映画の、ドラマの、制作の世界は渇いているのか。
制作、俳優の「渇き」はとんでもないなと思いました。