oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第39回 『私たちの子ども』

毎週日曜日夜8時になると流れゆくワタクシのTL上は#八重の桜が一気に増水し、
危険水域まで達する勢いですが、
京都編になってからは「襄先生天使」「きゃわわわ」など甘すぎる香りで充満するのでございます。
しかし今週は八重の土下座に戸惑った視聴者さんたちの
会津時代とキャラが違うじゃねーか!」
「引き金を引くということへの覚悟はあったんじゃねーのかよ!」
会津は逆賊ではねえ!」
というきな臭い匂いで充満しておりました。
さすが八重さん。


かつてチビ八重がおとっつあまから手痛い教えを受ける描写がありましたが、
その時はおとっつあまの勢いと、目の前で傷ついている小動物の命を奪うという衝撃に
「何だか分からないけど中途半端に関わってはいけない、胸の痛い事なんだな」
くらいの感じじゃないかと。
銃を向ける事への覚悟が本当に理解できたとは思えないのでございます。
会津時代の八重にしても「敵はわだすが討つ!!」だったしなあと思うと、
敵も自分と同じ人間で、家族があったんだと八重が気付き愕然とした瞬間、
八重の思わずとった行動がワタクシ的にはそんなに違和感は無かったのであります。
逆賊の汚名を受け入れるということと人を殺めたという事は別として。
(手を揃え畳に付けて謝罪するあの時代、土下座の意識も今とは違うかも。)
人は簡単に忘れたり、変わったり出来ないものでございます。
「引き金を引くことに躊躇いはない」→何度でも繰り返されたであろう八重の葛藤と苦しみ、
新島襄と出会い、見えてくる景色が変わってきた過程があまりにも特急のため、
八重内部の変化が分からず、唐突もしくは変節に感じてしまうのでしょう。


でね、ワタクシ「キリスト教」の教えが今一つよくわかんねえのだがし。(会津弁合ってまつか?)
良い事言ってるぞというのは分かるんですけど、教えの本質を分かっていないから、
綺麗な言葉として聞こえて何だかくすぐったい。つか照れくさい。
キリスト教」がワタクシの体にじんわりと染みこんで無いのでしょう。
でもって熊本バンド!
バンドなのに早々に緩みすぎではないかい!
そんなに物わかりがよくてはイカーン!青臭くイタイのは若さの特権だ!
襄先生の内面を浮かび上がらせる君らの今後の活躍に期待しておる!
一人一人のキャラも面白そうなのにちょっと残念でございます。
表面化したあんつぁまとマッキーの摩擦、
あんつぁまが同志社にかまけすぎていた描写もマッキーのセリフのみ、
ヒロシ周辺も「ヒロシの表情と大山とのやりとりで察してください」的視聴者だのみ、
そんなこんなを総括すると、結局「時間が無い」に尽きるのであります。
仕方ないけど仕方ないけど…(´・ω・`) 


次回「なんという情けない校長じゃ!軟弱なんじゃ!軽薄じゃ!」と
熊本バンド化した一部視聴者を納得させられるのか!?
公式予告「襄がキレた!?」の字幕が踊って見えるのは、
ワタクシの中で祭りの予感がしているからでしょうか。