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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第26回 『八重、決戦のとき』

人が死ぬ。
バタバタとバタバタと自らが選んで。
死をもって抗議するということなのか、
汚名を着せられたまま生きながらえるのは恥だとするのか、
足手まといになりたくないということなのか。
「よし、では死のうか」と穏やかに言う。
そういう覚悟を潔しとする心性は、頭で考える所とは別に、
DNA的にどうしようもなく心を震わせてしまうけれど、
やはり違う、違う!と悲しさを通り越して、腹立たしく感じてしまうのであります。
しかしこのドラマはそれを肯定しているわけでも美談にしているわけでもなく、間違いも正解もない、
これは史実なのであります。


「自ら火の粉を被りにいくだけ」と守護職就任に反対した西郷頼母
「刀の時代じゃない」と近代化を説いた覚馬と尚之助、
「まだ玉は残っている」という伊東悌次郎、
気運が高まり、ある方向へ一度流れ始めると、
本流の中で異を唱える声はかき消され、立ち止まることも許されず
何もかも飲み込んで一気に押し流してしまうのであります。
流れに飛び込んで身を任せる、そうした気分はきっとどこか自分の中にもあるでしょう。
空恐ろしく感じるのであります。


お互いを護り合う八重と尚之助。
人間として一段の差もなく同じ場所に立ってる夫婦でございます。
この二人をもう少し見ていたい、ずっと見ていたいのに退場しないと出てこない!
ああもう!3人じゃだめ?(イイワケないだろう)