oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第21回 『敗戦の責任』

まず初めにこれはドラマの感想でして、創作物への感想でして、
決して歴史認識とは違う、ということをお伝えしておきます。(どんだけ言い訳がましい)


「身一つで来い (`・ω・´)キリッ 」
「徳川を逆賊にせよとの一文があったのか(#゚Д゚)ゴルァ!!」
「これは神保修理の進言だb( ゚∀゚ ) ニ゙ッ 」
「藩士を逆賊にしたいか(`_ゝ´)アッソ」
時にはピアニッシモ、時にはフォルティッシモ、脅したり、宥めたり、つけ込んだり、惹きつけたり、
容保公を口説き落とす慶喜公の手練手管といったら。
容保公が一言発すると、その十倍慶喜公が撃ち返してくる、まさに火縄銃対マシンガン。
だからあれほど早く近代化しろと覚馬と尚之助さんが(違)
絶対的な立場から正確に命中させる慶喜公。
その度に苦悶する会津公の表情が、話のシリアスさに反して
ワタクシに申し訳無い気持ち(萌えともいう)を生じさせます。
カメラが容保公の表情を一つ一つ追いたくなる気持ちがよーぐわがんべ。(東北弁に埋もれる昨今)
「なんと綺麗なお殿様」と両手を広げて迎えられた容保公が、数年後には夜陰に紛れて脱出する。
ふと、ベルばらマリーアントワネットが思い浮かぶのでありました。


にしても分からないのは、なぜ慶喜公が一人で脱出しなかったのかという事であります。
行かないっていう者を説得する面倒もなく、さっさと一人で抜け出した方が早い。
慶喜公本人は「中将がいると戦渦が拡大するから」と言ってましたが、
とてもそんな深慮があったとは思えません。
多分道中が寂しかったんでしょう。(そんなこと!?)
某掲示板を覗くと慶喜公擁護派の方々が、
「京や江戸で戦の被害が拡がるのを阻止した」と言っておりました。
じゃ会津なら良かったのか?と書き込みたかったのですが、
某掲示板の書き込みには勇気が出ませんでした。


何にせよ重要な事ほど、協力者は要るものであります。
神保修理に落ち度を探すとしたら、せめてもう一人連携をとっておくべきでした。
ちょっと残念なのは、「この人(修理)こんな重要な役の人だったの!?」というヴォイスを拾ってしまった事です。
容保公とのエピソードが少なめだったせいか、印象が薄かったようであります。(他が濃すぎるというか)
林権助神保修理山本三郎と、5ヶ月間視聴者の中で育ってきた人物が退場していきました。
これからドンドンと退場者が増えることでしょう。
行く末を知りながら見届けるのは、中々辛いものであります。


どれだけ深刻でも種を見つけてしまうのは悪い性分であります。
泣き笑いのような笑顔が印象的だったあのシャイな山川大蔵くんが
洋行帰りでかえって戦国武将みたくなり(=たくましく)、
「大砲を撃つにはこれが動きやすいのでごぜえます。ガッハッハ!」と自分の胸をバンと叩いたときには、
いいのよ大蔵くん!ありのままの自分が一番よ!と画面に声をかけてしまいました。
また、会津中将の首が条件とする薩長に、覚馬が「俺を代わりに!」と言っているのを見て、
そんな釣り合いの取れないトレードはムリよ!と画面に向かって叫んだのでありました。