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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第20回 『開戦!鳥羽伏見』

いよいよ戦いの火ぶたが切って落とされました。
最初から分かっていた事とは言え、会津視点でドラマを追ってきた長州人としては、
今後のことも含めなんとも胸の痛む展開であります…
と思っていたら長州いねーし!!チラリとも出番ねーし!
「薩摩は何を考えている?」「西郷という化け物に火を付けちまった」と一目置かれ、恐れられる薩摩。
肝心な時にミッチーはどこへいったー!
ああそうですかラスボスは薩摩で、前をチョロチョロするのが長州ですか。(拗ねすぎ)


意に沿わぬまま引きずり込まれ、追い詰められ、逃げ道を塞がれて、
とうとう矢面に立つこととなった会津藩
この大河では今までに無く様式美が丁寧に描かれています。
烏帽子に御衣の羽織、出陣の作法に則る容保様と見守る藩士。
武士の心得として脈々と受け継がれてきたであろうこの作法も、
約260年間で実際に行ったのは幕末期の数藩だけだったでしょう。
セリフのない静かなシーンが緊張感を高める中、
こんな時ですら、ああぅ容保様お美しい(´;ω;`)と萌え心を抑える事が出来ない自分が
お恥ずかしゅうございます。


2004年の新選組!では当たり前ながら、新選組が鳥羽伏見におけるど真ん中のポジションでありました。
しかし今回は、会津ー薩摩が大きな流れとすれば本流に流れ込む支流として描かれています。
先日我が家で見直した「花神」では倒幕側の長州藩
中立を表明し、最後まで戦を回避し藩の存続を模索しつづけた長岡藩、
視点が変われば、どこ藩の選択も正しく見えます。
まるで自分の立つ位置が違うだけで見え方が変わる地球儀のようです。
立つ位置が違えども、だれもが自分の為ではなく、
この国の未来のために正しいと思って動いていたのでしょう。(約1名を除く)


この激しい戦の後にやってくるのは劇的な日本の変化。
その新時代を象徴する新島襄と、命と誇りをかけ武士であろうとした人たちがどう関わっていくのか、
非常に興味深いところです。
八重と時尾ちゃんは心友(ヤングを意識)なんだから、マイハズバンドよと当然紹介し合うよね!とか、
新島襄「アナタが山口一改め斎藤一改め山口二郎改め一瀬伝八改め藤田五郎さんですか?」
斎藤一「お詳しいんですね。」みたいな会話があるんだろうか?とか
山本覚馬に最初会ったとき、シャツインな新島襄が「ぼくなんかどうですか?(※八重の伴侶にという意味です)」
みたいな会話があったら絶対悶えるとか(コテコテファンしか分からないから)、
こんなシリアスな回の時でさえ、そんな事ばかり考えてしまう自分が
お恥ずかしゅうございます。