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「小次郎つばめ返し」

大河ドラマ 八重の桜 第4回 『妖霊星』

現在の映像技術を持って、あの妖霊星かよ!
と思わず大きな声を出してしまいました。
あのリアル感のない流れ星はわざとですね?
きっとそう見せる意図があったに違いありません。
ひょっとして「はやぶさ」が大気圏突入の際にあの時代にタイムスリップしたとか。


でもって寅次郎さん、来週退場かよ!
メインラインでは無いので、そりゃもう仕方のないことではありますが、
長州人でありながら「寅次郎って誰?」と言ってたキバコさんに説明しなくてはならんでしょう。
歴史音痴のキバコさんにとって寅さんは、「八重の家に遊びに来て凧を揚げた人」止まりであると思われます。
先週「寅次郎ってのは吉田松陰の幼名よ、幼名!」というと、ヨウミョウ・・・・(゜Д゜)?という反応だったので、
「いい?武士はみな幼い時と成人した時と別々の名前をもってたの!ちなみにね…」
と代表的武士の名前をwikiで調べ、
宮本武蔵は『名字は宮本、または新免、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)で、
 幼名は辨助(べんのすけ)、号は二天、また二天道楽。
五輪書』の中では新免武蔵守 藤原玄信を名乗っているのよ!わかった?」とまくし立てると、
ワタクシまで段々と分からなくなってきたのであります・・・。


外圧によって重い腰を上げるのはデオキシリボ核酸レベルで日本人に備わっているものと思われますが、
圧力に屈してとか弱腰とか利権とか日和見とかだけではなく、
国際舞台では生まれたての赤子のような当時の日本で、
300年間の常識を破っての外国との条約は、
現在よりも重く、悲壮な決意と危機感を持って結ばれたものと想像します。
まだたった150年前の話なんですねえ。
条約に至るまでの舞台裏の駆け引きや、流れ、立ち位置など、
キバコさんにはちょい分かりにくく、興味が薄れる部分ですが、
オトコマエの殿様たちが目を惹きつけてくれると思います!ええ。


主に日用品や農具などを作っていたと思われる市井の鍛冶やに
本物など見たこともない銃を作らせて、一分の狂いもない物に仕上げるという辺り、
当時の日本は、下々までが相当な技術を有していたという事わかり、
なんとなく自尊心をくすぐられるのであります。