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「小次郎つばめ返し」

[オダギリジョー]「ゆれる」

普段の私はどちらかといえば何事にも頓着しない方だと思う。
「介護大変ねえ。」と言われても、
実際はそれほど考え込むこともなく、仕事したり、ネットしたり、
映画を観たり、ショッピングに行ったり、普通に生活を楽しんでいる。
・・・・・・・・・・・・つもりでいる。
しかし何かがキッカケとなり(大体は些細なこと)、
「私もフルタイムで働いているのに、何故私だけが家事をして、
 何故私だけが家族の世話をしなくちゃいけないのっ!?」
という気持ちが突如沸き上がってくる瞬間がある。
一方的に声を荒げる私をポカンとした顔で見る旦那。
日頃気にしてないつもりでも、心のどこかに不満がストックされていて、
何かの拍子にどこかの鍵がカチャリと外れるのだろう。
でもいつもいつも不満を心に抱え、我慢して生活しているワケじゃないし、
そんな不満の爆発は特別な事じゃなく、皆経験のあることだ。


稔は何故、家を飛び出さなかったのだろう?
家業を放って、親を放って、故郷を放って、
やりたいことがあるなら猛のように人目を気にせず行動すればよかったのだ。
だいたい本当に稔は家から出たかったんだろうか?
あんなことさえなければ、自分の店で、思いを寄せる女性や慕ってくれる従業員と共に働き、
慣れ親しんだ風景の中で、毎日楽しく暮らしていたんじゃないだろうか?
「何故オレだけが」と伏して泣く稔は「人の死」をキッカケにして、
どこかへストックされていた不満と後悔が思い出したように沸き上がってきただけじゃないのか?
自分で選んできたはずなのに、今の自分の境遇をいろんな事にすり替えて嘆く稔の言い訳を
なんだかズルイと思ってしまった。


久し振りに帰郷したときの安心感とどことなくよそよそしい気分、
親族の小競り合い、大人になるにつれ出来る兄弟の微妙な距離感、
好きな相手との駆け引き、寝て起きて食べて働く生活、
映画の中の話なのに、全部知っているような不思議な感じは一体なんだろう、
何故稔にイライラするんだろうと考える数日間。
書いては消し、消しては書いていくうちになんとなく合点がいった。
稔が猛に「何故自分だけ?」と八つ当たりする姿は時々鍵の外れる私自身だ。
監督の見た“夢”を描き出したこの映画は、おそらくだれもが知っている日常の“現実”なのだ。