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「小次郎つばめ返し」

[オダギリジョー]スクラップ・ヘブン

時に想像力とは自分勝手でやっかいなものだ。
想像に確かなものは何もなく、一人一人、全ての人が持っているのにだれとも共有できず、
もともとは「想像」なのに自分のそれが「真実」だと思いこみがちで、
他者の「想像」は想像できないのだ。
それゆえに想像が原因で日常では小さな諍いは絶えない。


シンゴ(加瀬亮)はバスジャックでのことを帳消しようとゲームに参加したが、
自分勝手な欲求を満しただけで、ゲームの行き着く先を想像できなかった。
テツ(オダギリジョー)は世の中に怒り、弱い父親に怒り、父親の心を想像できない自分に怒っていて、
自分のためにゲームを始めたのに、シンゴへの愛情が自分の中でこんなに大きくなるとは想像できなかった。
世の中に想像力を植え付けようとゲームを始めた2人に一番想像力が必要だったのかも。


これはなんだか・・・シンゴとテツが心を通い合わせる過程を撮ったドキュメンタリー映画のようだ。
李相日監督が思い描いたスクラップ・ヘブンの最初の形はどうだったんだろうか?
クライマックス(ファン的には)の取調室のシーンは、結局シンゴとテツに委ねられたが、
監督を離れ、脚本を離れ、映画の中で生き始めたシンゴとテツが
監督や役者達でさえ予想できなかった心の動きを見せ、あのシーンになったことも
李監督の想像を超えたものではなかったろうか。
こうして想像とは違うものが映画の上で真実として残ったのも面白い。
ここまで全然触れていないサキ(栗山千明)に意味を見いだせない私は、どうも想像力が足りないらしい。


ここからはファン心が暴走しとります。
本編の中でテツは飛んで弾けて、まるで魚が水面で跳ねてるようにイキイキしていました。
オダギリ氏は不思議と共演者が男性の時に、独特の色気を濃厚に発っするし、
んーもうー衣装も含めてスバラシイ!
楽しくてきっと口を開けてバカな顔して見てただろうなーと思います。
しかし同時に前半からすでに見せ始めていたテツの不安定な表情をみるたびに、
晴れているのに黄みがかった空を見るたびに、
不安がよぎり胸が痛くてたまりませんでした。
『これは本当にテツという人物に感情移入してるのか?』
役者ファンなれば知りうるいろいろな情報が、純粋に映画を楽しむことを邪魔して、
私にテツとオダギリ氏をダブらせて見せてるんじゃないだろうか?
映画を見るたびにオダギリ氏という人物の内面をみている気分になり、
毎回何を見てもなんともセツナイ、ジクジクしたものがあとに残るのは私の過剰な想像力のせいかもしれません。
できれば映画を見るたびに記憶をリセットして
「誰?この役者さん!」状態でオダギリ氏と役に出会えたらいいのになぁと思う気持ちが
段々と強くなるのでありました。