oozy Blog

「小次郎つばめ返し」

もうすぐ四十九日

父が亡くなって1ヶ月を過ぎ、未だに「知らなかった」と尋ねてくれる人がいる。
仏前で伏せて泣き崩れる姿を見ると、
「この人は私の知らないどんな『父の姿』を知ってるんだろうか?」と、不思議な感覚になる。
私の知ってる父は市場の帽子と長靴を履き、大きな声でヘンテコな歌を歌い、だれかれ構わず話しかけ、
わがままで、お調子者で子供のような人・・・・イメージとしては「バカボンのパパ」だ。
考えるに私は容器の中に居たようなもので、容器の内側は見えていても
外から見た形状や大きさ、容器の果たしていた役割を知らなかったのかもしれない。
母は家の中で占めていた容器の想像以上の大きさに気づき、
空いてしまった空間の広さに未だ慣れずにいるらしい。